七転八倒の記

   
   

 歯ッてなァ痛てェもんだねェ、なあ八つァんじゃあないが、筆者先頃まれなる得難い貴重なる体験をバした。当院にて、自身将来を嘱望されている歯科医である若き友人に筆者懸案の歯の処置をしてもらったのだ。その歯は右下六番(第一大臼歯(だいきゅうし))で、神経や血管のある有髄歯(ゆうずいし)だ。昔、インレーという詰めもの(内側に置くからINLAYで上に置くのはONLAYだ)をしてもらったものが、インレー周囲が歯質の老化による乾燥からとも二次カリエス(虫歯)からともつかぬ破折を起こしていた。一部象牙質が露出し、しみたり舌感も悪く、患者さんにエバッテいる商売柄の手前、具合悪くも感じていた。そこで彼に再度麻酔下で形成(削ること、プレパレイションとも言う)してもらって型を採り(印象採得(さいとく)、インプレッションとも言いますヨ)、新しいインレーがラボから上って来るのを待って合着(セットです)した。以前のもののときは食物がインレーとその隣の歯との間に詰ったりと不自由していたので、それの解決をも同時に試みたのである。

  さて、このウルサ型の患者は若き優秀なるドクターに向かってアーセイ、コーセイと言いながら、まあ滞りなく新インレーがセットされたというわけだ。彼は何度も筆者の噛み合わせを調べ、つまり咬合(こうごう)調整をし、もうチョット削りましょうと言うのを、このあんまり良くない患者はもういいもういいオレの歯はオレが一番良く分かるからイイのだと中断させた。ギュッと噛みしめると数十ミクロン高いかナーと歯根膜(しこんまく(歯根と歯槽骨(しそうこつ)との間にある)のセンサーは筆者自身の脳に訴えてはいたが、オレがイイと言ったらイイ!

  ニケ月ほどは健康状態も良かったせいもあるのか何事もなく、少々高いかナー程度で平和裡に時が流れて行った。そして”その時”は突如としてやって来た。忘れもしない某月某日、二、三日前からの、ものがはさまるから歯間歯肉に炎症が起きているのかというボーッとした灼熱感が、寝入り端に徐々なる激痛となって現れたのだ。もう痛いのなんの、起き出して飲んだ鎮痛剤も抑え切れぬ。もしやこの痛みは歯冠部のヒビから来るものであろうか、あるいは再度の形成時に削り過ぎたかで目に見えぬ歯髄感染を起こした歯髄炎なのであろうか。つまり歯の外側の歯根膜に起因するのでなく歯の内側の歯髄からか、さらには感染性のものなのかと。その鑑別診断をつける意味からも抗生剤の服用を控えていたのだが、二日前ぐらいから飲み始めていたらば今頃は……と。いやいや。御近所迷惑も考え日の出の五時を待って一晩まんじりともせぬままに階下の診療室の電源を入れたのだった。つまり自身で自らの歯の不正な辺りを削合(さくごう)調整するべく。

  伝達麻酔(ブロック。ノドの近くの下顎孔(かがくこう)を狙う)は自分でやるには少々勇気がいるので、浸潤麻酔(字面のごとくに歯根部近くに注射)を施した上で、鏡片手に涙でかすむ目にて家人が起き出さぬよう細心の注意を払って(スタッフの登院を待って患者さんの参加も募って筆者を押さえつけて”楽しく”恨みを込めてやるなどとなると大変だから)ひっそりと(しているつもり)歯の詰めものを削った。

  まァ痛いこと痛いこと。麻酔をしてはいるものの炎症のせいもあり完全には効かず、機械が歯に触れるだけでもうこんな痛いものがこの世にあるのかといった塩梅。ああ患者”さん”というかこの際これからは患者”様”の皆様、今まで本当に申し訳ありませんでした。当方歯科医師免許を下賜仕(かしつかまつ)っているからお縄を頂戴せずに済むものの、これだけ今まで皆様を痛めつけて来てしまったのであってみれば、傷害罪で確実に起訴されるも致し方なしと思われる痛さ。
さて、これまた自身で撮ったレントゲンでは歯槽骨も少々吸収し、一気にその歯のあたりはオジーサンになってしまったものの、その後のおクスリも効を奏して今はニッコリいられる。斯様(かよう)にちょっとしたことで歯はグンと悪くなるということを健気にも筆者、鎌倉十六万市民のために身を挺して実証してみせたのであるから、皆様もどうぞしつこく何度も歯科医の側に注文をつけて下さい。筆者も、もうけっしてうるさそうな顔はいたしません。本当に申し訳ありませんでした、今まで。

                                           (鎌倉・大船歯科医師会 澤野宗重 澤野歯料)