歯の博物館

   
       

 横浜市中区の神奈川県歯科保健総合センターの7階に、神奈川県歯科医師会の歯の資料室があり、『歯の博物館』として、一般の方々にも公開されています。(見学の際は、事前の申込みが必要です。)
  館内には、日本と西欧の歯にまつわる古来の風習から、近代歯科医学までのさまざまな資料が集められ、展示されています。
  資料の中でも、特に印象深く感じられた内容について、少し紹介してみたいと 思います。

     
                         
        (1)お歯黒
  江戸時代の浮世絵の中には、歯を黒く染めた(お歯黒をした)女性の姿が描かれたものがありますが、日本には、『お歯黒』という風習がありました。
  女性は、室町時代以降、結婚すると歯を黒く染めるようになり、江戸時代には、庶民にも定着しました。
  あまり知られてはいませんが、平安時代末期以降、武士の元服(成人)の儀式として、男性もお歯黒をし ていました。
  なぜ歯を黒く染めたのでしょうか?・・・・・それは、『黒は他の色に染まらない』ため、女性の貞節や、武士の忠義心を示すしるしとして、求められていたからです。
  お歯黒道具は、お嫁入りの大切な化粧道員の一つでした。また、上流階級では金蒔絵の豪華なものもありました。
  女性は身だしなみとして、毎朝、夫が起きて来る前に化粧をすませ、お歯黒をつけていました。
  お歯黒の溶液の作り方は秘伝であり、結婚した女性は、最初は近所から溶液をもらい、それにさまざまな工夫をして、かまどのそぱに置いて発酵させて作りました。
  溶液の主な成分は、『ふし粉(タンニン)』と『かね水(酢酸第一鉄)』で、房楊枝を用いて、歯の表面に交互に塗っていくと、化学反応で、『タンニン酸第二鉄』となり、歯が黒く染まったのです。
  タンニンには、歯肉を引き締める作用があり、また歯の表面のエナメル質を強化して、むし歯を防ぐ効果がありました。
  お歯黒をつけていた女性の歯には、むし歯がないことから研究されて出来た薬剤は、乳歯などのむし歯の進行を遅くする薬として、現在でも使われています。
  お歯黒は、明治時代になると次第にすたれていきました。開国と共に入国した外国人の目に、お歯黒は、あまりにも奇異に、そして女性差別として映ったため、開国の妨げになるとされて、禁止令が出されたのです。
  現在では、『白い歯』を希望する人が増えて、歯のクリーニング、ホワイトニング(漂白)などが普及してきました。江戸時代の女性が、現代の日本女性の白く輝く歯を見たら、とても驚くのではないでしょうか。
   
       
   
   
  (2)木彫の入れ歯(義歯)
  山林に恵まれた日本では、古来より木の文化が、発達していました。平安時代末期より、木製の入れ歯(木床義歯)が彫られるようになり、鎌倉時代には、全国的に普及していました。
  木床義歯には、黄楊(つげ)の木、黒柿の木が多く使われていました。
  「入れ歯師」は、蜜蝋を軟化させたもので口腔内の型を取り、その型に蝋を流し込んで固めた物(現在の口腔内模型にあたる物)に合わせて、ノミなどで義歯を彫り上げていきました。
  木床           義歯は、口腔内に良く吸着し、大変実用的でした。
  明治時代に入ると、進歩した欧米の義歯が伝わるようになり、木床義歯は次第に姿を消していきました。
  しかし、現代のような材料や技法が発明されていなかった時代に、優れた技術によってすでに完成されていた木床義歯、そして、それを作り上げていった遠い偉大な先輩達の事を、私はとても素晴しい!と感じました。
                            細谷 真央(真央歯科クリニック)
               参考・写真提供 神奈川県歯科医師会『歯の博物館』